お念仏のこと

 「南無阿弥陀仏」とは「阿弥陀仏に帰依し奉る」平たく言えば「仏様にすべてお任せいたします」ということですが、お念仏を唱えながらその意味を意識している人はいないでしょう。それどころか「ナムアミダブツ」という言葉を正しく(?)発音する人もいません。「ナンマンダブ」であったり「ナンマンダー」であったりします。

 おばあさんたちが集まって念仏しているのを聞くと、「ナンマンダー」がいつのまにか鉄橋を渡る列車の「ガタンゴトン」にも聞こえてきます。

 このように言葉が本来の意味を離れて単なる図形やリズムに感じられることを、心理学では「ゲシュタルト崩壊」というそうです。多くの場合ゲシュタルト崩壊が起きている時は意識の変性が起こりやすく、宗教的なトランス状態を生み出すこともあります。なるほど「南無阿弥陀仏」を繰り返す過程で言葉から意味が抜け落ち、「ナンマンダブ」になったとき、初めて「南無阿弥陀仏」と「ひとつ」になれるような気もします。そしてそのトランス状態が何かをきっかけにはじけた時・・・宗教的な「悟り」が得られるのではないでしょうか。これは何も「南無阿弥陀仏」だけに限ったことではありません。「南無妙法蓮華経」然り、「吐菩加美依身多女(トホカミエミタメ=神道の祓詞)」然りです。

 「趙州無字」において、「何も考えず、吐く息も『ムー』、吸う息も『ムー』で押し通して坐ってみろ。」と多くの禅の本にあるのも、本質的には同じことでしょう。(霊峰)