2014年
12月
28日
日
良いお年を
鳥飼での本年最後の例会が終わりました。9月の支部設立摂心会を中心に、何かと忙しく、それでいて充実した一年でした。来年のスケジュールの詳細は、決定次第順次UPしていきます。どうぞ来年も、福岡支部をよろしくお願い致します。
2014年
12月
25日
木
第4回摂心会円了
9月とは打って変わって、時折雪もちらつく冬の寒さの中、第4回摂心会が恙なく円了いたしました。今回は進級者も増え、来年に向け充実した体制で臨めそうです。皆さまお疲れさまでした。
2014年
11月
04日
火
「別無工夫」
夢窓疎石の言葉。「別に工夫無し」
夢窓疎石は、生涯にわたり、夢窓国師・正覚国師・心宗国師・普済国師・玄猷国師・仏統国師・大円国師と、七度にわたり国師号を歴代天皇から賜与され、七朝帝師と呼ばれた高僧。国師号など、わざわざ辞退するまでもない浮世の戯事とでも思っておられたのでしょう。
さてこの言葉、「工夫」とは砕いて言えば「求道の営み」とでも言ったらいいのか、とにかく人間形成をめざして何かをすることです。侮れないのが「別」の一字。これを「他に」の意に取るか「ことさらに」の意に取るかで、意味がガラッと違ってきます。
今はまだ何にもわかりませんが、これからの参禅弁道を通じて、少しでも禅師の境涯に近づいて行きたいものです。
旧暦11月朔日は、無窓疎石の生誕の日。
2014年
11月
01日
土
秋
寒時は闍梨を寒殺し
(寒きゃ寒いで歯を鳴らし)
熱時は闍梨を熱殺す
(熱きゃ熱いで汗だくに)
とはいうものの、過ごしやすいこの季節は、じっくり坐るのにうってつけです。「座禅儀」には、坐るにあたっての準備として、「万事を休息し身心一如にして動静隔てなく、その飲食をはかりて多からず少なからず、その睡眠を整えて節ならず恣ならず・・・」と、事の中庸たるべきを説いています。
空腹でも満腹でもなく、寝過ぎてもいず、寝不足でもなく、「いい塩梅」で坐れる季節が秋です。
今月は例会日が変則的ですが、大濠公園日本庭園の秋の静けさを感じつつ、心地よく坐るのもいいですよ。ちなみに画像の字は、すべて「秋」と読みます。
2014年
10月
19日
日
世語
公案の見解(けんげ)に添える漢詩の一節を「著語(じゃくご)」といい、それが和歌や俳句のように日本で生まれたものの場合は「世語(せご)」と言います。
白露のおの が姿をそのままに紅葉に置けば紅の玉
今の季節に相応しい至道無難禅師のこの歌も…
2014年
10月
19日
日
観脚下
おのれこそ おのれのよるべ
おのれをおきて 誰のよるべぞ
よく整えし おのれにこそ
まこと得がたき よるべをぞ得ん
その昔、松原泰道師の本で知った「法句経」の有名な一節。「当たり前じゃねーか」と軽んじてきた若い頃を経て、今では「こんなに難しいことはない」と嘆ずるばかり。(霊峰)
2014年
10月
09日
木
重要な連絡です!
現在例会に使用させて頂いている鳥飼八幡宮「振武館」は、11月の大相撲九州場所では九重部屋の宿舎となります。
そこで10、11月は会場を「大濠公園日本庭園茶会館」に改め、日時も平日の夜間に変更します。詳細はカレンダーを御覧ください。
2014年
10月
09日
木
気がつけば…
あれほど気になっていた支部設立記念摂心会が、記念式典ともどもあっさり終っていました。ブログに記事をアップする余裕もなくずーっと放置していたので、今となって思い出そうとするのですが、ぽっかり記憶が抜けたような変な気持ちです。
あれこれありすぎたのでしょうか? 完全燃焼したのでしょうか? 「十牛図」で言えば、「人牛倶忘」のような状況なのか…? まさかそんなことはないでしょうが、これからまた日常に戻ってこのブログを更新していきますので、どうか覗いてくださいね。(霊峰)
2014年
9月
04日
木
蔓延
「蔓」が「延」びると書いて、「はびこる」と読みます。読んで字のごとしです。意味は、よくないものの勢いが盛んになって広まること。私たちの煩悩がまさにそうですね。
白隠禅師晩年の「草取唄」は、こう始まります。
草を取るなら根をよく取りゃれ
またと意根を生やしゃるな
意根なきよに根を切りおけば
水に花咲く根無し草
なるほど欲の根を断っておけば、心安らかに悟りの道へ、ということか・・・と早合点していると、結びの言葉に驚かされます。
唯と心得うかうかするな
根無しかづらに絡まるぞ
捨ててはびこる根の無いかづら
蔓は越後に根は佐渡に
「断った」「捨てた」と思うことも、やはり煩悩ということでしょうか?
2014年
9月
01日
月
支部設立の摂心会が近づきました
摂心会結制まで一週間、記念式典まで二週間です。会員諸氏は準備に大童で、いつもどこかで誰かが打ち合わせたり作務したり…。こういう時は誰でもイライラするものです。たぶんこれからもっとイライラする場面が増えるでしょう。
人がイライラしていたら、「お仕事大変なんだ」と心の中で手を合わせましょう。自分がイライラしてきたら、無理をしてでも笑ってみましょう。
写真はなにかというと、「苛魚(イラ)」という珍しい魚の握り寿司が二貫で「イライラ」…(反省)
2014年
9月
01日
月
虫の声
秋になりました。夜坐をしていると、虫の声が聞こえてきます。昼間の蝉に比べて、秋の虫の音は心地よいもの。音を聞いている自分が、いつのまにか音に溶け込んでいく気持ちになります。この機を逃さず三昧力を高めて、来たる摂心会と記念式典に臨みたいものです。
2014年
7月
24日
木
少年剣士
玉竜旗の季節がやってきました。
現在振武館では、遠くから来た大勢の剣道部員が宿泊中。
本来なら夜間例会の予定でしたが、彼らの夢のために遠慮することにしました。
頑張れ!
2014年
7月
21日
月
道号授与式
摂心会に先立ち、禅会の摂心会で見性された森山さんの道号授与式が行われました。
道号は「令香(れいか)」禅子。どうか今後とも修行に邁進されますことを。それから、典座としてこれからもおいしい料理をお願いします。
2014年
7月
21日
月
第2回摂心会
7月17日(木)~20日(日)、福岡支部の第2回摂心会が行われました。梅雨明けも近い暑さの中、今回は警策が割れたり喚鐘の紐が切れたりと、気迫あふれる摂心会でした。
老師におかれては、暑い中の御指導、誠にありがとうございました。
2014年
6月
22日
日
お月さま
先週の摂心会の間に、十五夜が来ました。満月です。写真は取り損ねましたが、それほど忙しい時でした。
「あー、あれの手配がまだだった。」
「くーっ、明日本当にできるの?」
「うわーっ、これしてくれてないの?マジ?」
「いやいや、ちゃんとしようぜ!おい。」
みんなの脳裏にこんな言葉が渦巻いていた時、月は微動だにせず(当たり前ですが)中天に照っていました。
設立式典まで三か月を切りました。みなさん、月や松になった気持ちで頑張りましょうね。(霊峰)
2014年
6月
17日
火
第一回摂心会
福岡禅会が「福岡座禅道場」と名前を改めたのに伴い、これまでの参禅会も本格的な「摂心会」という名称に変わりました。記念すべき第1回です。
今回は四日間の日程で行われ、二十名近い人々が(延べだともっと多くなりますが)熱心に修行に励みました。
2014年
6月
02日
月
6月になりました
「水無月」です。田植えや梅雨に関わる水と縁の深いこの時期、私たちは相も変わらず坐っています。今年の6月1日は30度を超す猛暑日で、窓を開放してもうっすら汗ばんできます。それでも私たちは、いつものように坐ります。
2014年
5月
25日
日
唐津街道
福岡坐禅道場のある福岡市鳥飼は、江戸時代、北九州と佐賀の唐津を結ぶ唐津街道の道中に位置していました。福岡県内の唐津街道の宿場町は、何とも地味で味わいのあるものばかりです。
今回紹介するのは、福津市にある畦町(あぜまち)宿。何の変哲もない田舎町の中に、珍しい「うだつ」の上がった家や崩れかかった藁葺きの家など、面白い光景が広がります。
今日も早朝、ここを通って例会に向かった霊峰でした。
2014年
5月
19日
月
葱坊主
「アリウム・ギガンテウム」。日本名「花葱」。ユリ科なので、本来のネギとは樗賀うようですが、葱坊主さながらにヌボーっとして、何とも言えない存在感があります。
葱坊主二つ寒山と拾得と(霊峰)
2014年
5月
15日
木
〈鎮西道場〉
鎮西支部の例会に参加。今日は紹燈庵老居士が直日を務められました。何が凄いといって、この禅堂での坐禅は静寂そのものです。ちょっと首を曲げて関節が鳴る音や、こっそり唾を飲み込む音までが、如実に聞こえるほどの静かな空間…
いいですねぇ!
2014年
5月
13日
火
〈一寸坐れば一寸の仏〉
坐禅は仏になるための手段ではなく、坐っている姿が、仏であることの現われだと言います。今、ここで坐っている私たちがそのまま仏なのです。「一寸坐れば一寸の仏」の「一寸」は、「ちょっと」ではありません。線香「いっすん」分の長さのことです。たとえ5分でも、坐ることは何もしないことの何倍もの価値があります。
禅の時間は、今・今・今・の積み重ねです。今この時、澄み切った水面のような坐禅ができていれば、それが「正念」であり、その積み重ねが「正念相続」なのです。長く坐れるから偉いわけではありません。
少しの身じろぎも許されず、唾を飲み込む音さえとがめられる坐禅は、専門道場の雲水の方々にお任せして、居士禅にいそしむ私たちは、何よりも気軽に、心地よく、一心に坐りましょう。足が痛くなれば立ってかまいません。眠たくなれば警策を請うのに、何の遠慮もいりません。「坐禅は安楽の法門」なのですから。(霊峰)
2014年
5月
12日
月
〈カウントダウン〉
高校3年生のクラスには、よくこんなカレンダーが貼られています。「まだまだ先は長い」と油断していると、そのうちに「えーっ!」と驚くことになります。そこで焦ってくれるとまだいいのですが、毎年こう思う受験生が出てきます。
「残り126日じゃ中途半端だから、キリのいい120日前から頑張ろう!」…だいたいうまくいきません。
さあ、福岡支部のみなさん、「いつやるの?今でしょ!」と林先生も言ってます。「即今目前聴法底」の一人ひとりが、頑張っていきましょう!
2014年
4月
21日
月
絡子授与式
日曜の例会に人が多かったのは、福岡禅会会員の絡子授与式があったからでした。今回火大級を授与されたのは、禅会伸長の時期に典座として尽力された水津心海居士です。とっても残念なのですが、心海さんは今回を機に福岡支部を離れ、御実家のある山口へ移られます。次年度からは新しく生まれる山口禅会の禅会長として活躍されるとのことです。ご健闘を心よりお祈りいたします。
2014年
4月
20日
日
妙好人
「妙好人」とは、真宗の熱心な信者で、禅にも通じる高い境涯を得た人のことを言います。例会からの帰り道、筑前国は宗像の妙好人、武丸正助(たけまるしょうすけ)の出身地を訪ねてみました。江戸時代からの霊廟には、穏やかな左の御像が祀られており、近くの記念館にはちょっとリアルな右の像が安置されていました。どっちが真実の姿なのでしょう?「倩女離魂、那箇か是れ真底!」
2014年
4月
17日
木
雨の日
仕事帰りに鎮西道場の例会に参加。外は雨。雨の夜の静坐は性に合っているのか、深く坐れます。
雨の中で私が坐り
私の中に雨が降り
雨音を聞き
雨音に聞かれ
雨の中を雨降りやまず
そして
すべてが春の雨
2014年
4月
04日
金
中国産の神々
長崎の唐人屋敷跡を散策してきました。華僑の人たちが守ってきたお堂の中には、さまざまな神様が祀られています。
これもまた異国情緒なのでしょうね。真っ赤な蝋燭や派手なお札など、どれもこれもが面白いものばかり。黄檗の寺院と同じで、赤い色が目立ってました。(霊峰)
2014年
3月
31日
月
大宰府にて その2
富安風生 「紅梅に彳(た)ちて美し人乃老」 八幡宮裏手の梅林の中にあります。「人」とは風生 の師、虚子を指しているとのこと。逓信官僚であった風生が、虚子を大宰府に案内しときのものか。(宗道)
2014年
3月
31日
月
大宰府にて
高浜年尾 「紫は水に映らず花菖蒲」
菖蒲池の中に建てられています。菖蒲はまだ芽が出た ばかりですが、シーズンになると見事な花を咲かせます。これからが楽しみです。
高浜年尾は虚子の長男。父の後を引き継ぎ、「ホトトギス」を主宰しました。現在の主宰、稲畑汀子は二女です。(宗道)
2014年
3月
24日
月
橋本梅香禅子
鎮西支部の摂心も無事に円了。珍しい写真をご紹介しましょう。時は昭和の初め、所は北九州市のとあるお寺。写真中央の僧形に髭の方は耕雲庵立田英山老大師。人間禅の前身である「両忘坐禅協会」摂心会での記念写真です。
何が珍しいかと言うと、その右上に立っている目鼻立ちのくっきりしたご婦人です。道号を「梅香」といい、私たちの大先輩であるこの女性は、本名を橋本多佳子、そう、女流俳人として歴史的に有名な橋本多佳女その人なのです。(霊峰)
2014年
3月
21日
金
馬酔木
近くのアセビの花。「馬酔木」とも書くように生き物をしびれさせる毒があり、葉を煎じると殺虫剤にもなるとのこと。壺形の小さな花の集まりが、とてもきれいです。(寶州)
2014年
3月
20日
木
かささぎ
佐賀の殿さまの別荘だった神野茶屋で撮ったかささぎです。佐賀市の神園にあり、閑叟(かんそう)と号した鍋島直正が造りました。広い芝生の上で「独坐大雄峰」の風情です。(寶州)
2014年
3月
18日
火
鎮西道場にて
ご存知の方も多いでしょうが、福岡禅会は北九州市にある「鎮西支部」から分かれて誕生しました。老師を筆頭に禅会メンバーにはかつて鎮西で修行していた人も多く、いわば「弟分」として福岡で頑張ってきたわけです。次年度から「福岡支部」となる私たちですが、今からもこれからも、何かの折には古巣へ帰って坐ることを楽しみにしています。
ただいま鎮西支部では第256回摂心会が行われています。今日の夜は、豊前支部の仁空軒笹良風操居士から「宇都宮氏の興亡と黒田官兵衛」と題した講話がありました。(霊峰)
2014年
3月
12日
水
春四題
寒い日もありますが、季節はもうすっかり春になりました。我が家の周りにも、色々な春の景が見られます。
写真左上は沈丁花、左下は山茱萸(サンシュユ)です。右上の土筆にはなによりも春らしさを感じますね。
右下の白木蓮は、蕾の先が必ず北を向くので、方角がわかるそうです。(寶州)
2014年
3月
10日
月
最後の参禅会
福岡禅会最後の「第30回参禅会」が、9日円了しました。平成20年から5年余にわたって、地道に活動してきた福岡禅会ですが、その活動も本年度で発展的に終了し、次年度からは福岡支部として新しいスタートを切ります。
次回ご報告するのは、人間禅福岡支部の「第1回摂心会」
の記事になります。「禅会」から一つ上の「支部」へと変わることで、いっそう修行に邁進する決意を固める会員一同…と、あまり力んでは禅者らしくありませんね。境内に咲く水仙の花を見ながら、今はほっと一息ついています。
最後まで後片付けに一生懸命だった徹心さん、御苦労さまでした。(霊峰)
2014年
2月
28日
金
サラリと・・・
「紅炉(上)一点雪」、真っ赤に炭がおこった炉の上に舞い落ちるひとひらの雪片。雪を煩悩と見るなら、「堅固な道心の前では、煩悩などこの雪のように一瞬にして消え去る。」という意味になりますが、これでは深みがないような気がします。
むしろ雪を我々の存在そのものととらえ、「生きるも死ぬもサラリといきたいもの・・・」という解釈のほうが馴染みますね。「逡巡するなかれ。疑義するなかれ。」です。(霊峰)
2014年
2月
20日
木
坐禅研修会
昨日19日の早朝、道場で外資系ホテルの営業社員を対象に坐禅研修を実施しました。ご覧のように多くが女性社員の方々です。普段は十数人で坐っている道場も、総勢23人が一斉に坐ると、寒い朝とはいえ熱気が充ちてきます。いつもなら厳しい目で鋭い警策の音を響かせる瑞雲さんですが、今日ばかりは勝手が違うといった様子です。(白堂)
2014年
2月
17日
月
不生禅
江戸時代の禅僧に、「不生禅」を唱えた盤珪永琢禅師という方がいらっしゃいました。この方の教えは、「一切は親の産みつけ給うた『不生の仏心』で整う」というものです。「仏心」なら、なんだかわかる気もします。「仏の道にかなう心、命のありよう」といったところでしょうか。でも「不生」がよくわかりません。「不滅」とは違うのでしょうか?
「不滅」は「終ることがない、滅することがない」ということです。この場合、終わりはないけれども始まりはあるかもしれません。では「不生」はどうでしょう。「生まれない」わけですから当然始まりはありません。なおかつ始まりのないものに終わりがあるはずもありません。ちょっとまどろっこしいですが、「不滅」と言うより「不生」と言うほうがより正確で誤解がないのです。盤珪禅師自身もそのようなことをおっしゃっています。
「始めもなければ終わりもない、仏の道にかなう命のありよう」…これが不生の仏心なら、それは私たちが禅を通じて求めているものに叶います。臨済和尚が「一無位の真人」と呼んだあれです。それではそんな「不生の仏心」は、いつどこで手に入るのでしょう…東進ハイスクールの林先生に訊いてみましょうか?(霊峰)
2014年
2月
13日
木
お念仏のこと
「南無阿弥陀仏」とは「阿弥陀仏に帰依し奉る」平たく言えば「仏様にすべてお任せいたします」ということですが、お念仏を唱えながらその意味を意識している人はいないでしょう。それどころか「ナムアミダブツ」という言葉を正しく(?)発音する人もいません。「ナンマンダブ」であったり「ナンマンダー」であったりします。
おばあさんたちが集まって念仏しているのを聞くと、「ナンマンダー」がいつのまにか鉄橋を渡る列車の「ガタンゴトン」にも聞こえてきます。
このように言葉が本来の意味を離れて単なる図形やリズムに感じられることを、心理学では「ゲシュタルト崩壊」というそうです。多くの場合ゲシュタルト崩壊が起きている時は意識の変性が起こりやすく、宗教的なトランス状態を生み出すこともあります。なるほど「南無阿弥陀仏」を繰り返す過程で言葉から意味が抜け落ち、「ナンマンダブ」になったとき、初めて「南無阿弥陀仏」と「ひとつ」になれるような気もします。そしてそのトランス状態が何かをきっかけにはじけた時・・・宗教的な「悟り」が得られるのではないでしょうか。これは何も「南無阿弥陀仏」だけに限ったことではありません。「南無妙法蓮華経」然り、「吐菩加美依身多女(トホカミエミタメ=神道の祓詞)」然りです。
「趙州無字」において、「何も考えず、吐く息も『ムー』、吸う息も『ムー』で押し通して坐ってみろ。」と多くの禅の本にあるのも、本質的には同じことでしょう。(霊峰)
2014年
2月
09日
日
集中
知り合いの受験生が、いろんなことが頭に浮かんできて勉強に集中できないと嘆いていました。「寝よう。寝なきゃ!」と頑張ってもなかなか寝付けないように、「集中しよう。集中しなきゃ!」ではかえって逆効果。どちらもそのことにとらわれて、心がガチガチにこわばっているからです。心のこりがほぐれた時、眠りや集中は「向こうから」すっとやって来るのではないでしょうか?
私たちは坐禅をしています。(どこかで聞いたような)息を数えて心を無にしようと努めます。「無」といっても何もないわけではありません。「無にする」とは、雑念を払い「正念」で心を充たすことです。困ったことに雑念は天邪気で、抑えつけようとするとモゾモゾ頭をもたげてきます。「君とは遊んでられないよ。」と知らん顔で坐っていると、「無」は向こうからやってくる…そんな気がしています。(霊峰)
2014年
2月
05日
水
諫早・佐賀で坐禅例会がスタート
「坐禅に挑戦したいけど福岡まで行くのは大変なんですよ」という声にお応えして、平成26年2月から諫早と佐賀市内で坐禅会を開きます。福岡禅会の兄弟坐禅会です。
佐賀ではつい今しがた(1月31日)大急ぎで作ったホームページもスタートしました。
http://ningenzen-saga.jimdo.com/
諫早と佐賀の皆さん、さあご一緒に坐りましょう!
2014年
1月
30日
木
禅SNS
ちょっと見にくいですが、ご覧のような人間禅会員限定、登録制のSNS(Facebookの親戚と思ってください)があります。
まだ規模は小さいですが、気になったので登録してきました。しばらく様子を見て、おいおい紹介していきたいと思います。興味のある方は、http://sns.ningenzen.jp/および
http://www.youtube.com/watch?v=N2H3Qs7e3Ikを。(霊峰)
2014年
1月
26日
日
第29回参禅会円了
老師から頂いた右のようなテーマを掲げ、福岡禅会本年初の参禅会が鳥飼にて行われました。寒も和らいだ冬の天候にも恵まれ、20名を越える参加者一丸となって修行に励んだ一日でした。
個人的には・・・お昼のカレーライス、最高でした。(霊峰)
2014年
1月
19日
日
リアル一炷香
先日アプリの話をしましたが、普通はマジのお線香を灯して坐ってます。坐禅に使う手頃なお線香としては、「うえさく」「好文木」などがありますが、私は少し凝っちゃいまして、「一心香」というのを使っています。
写真をよく見てください。ハングルが見えるでしょう? 実は去年ソウルでいくつか買ったものを、気分に合わせて使ってるのですが、微妙に香りが違って、面白いですよ。(霊峰)
2014年
1月
17日
金
スマホ利用者の皆様へ
「雲堂」(うんどう)というアプリがあります。坐禅の時間を設定して、ヴァーチャルで一炷香を体験するものです。
ご丁寧なことに、写真右のようにスマホを持って合掌すれば、とたんに警策の音と共にありがたい禅語が。
是非はともかく、文明はここまで来てるんですねぇ。(霊峰)
2014年
1月
15日
水
お勉強
昨日お茶のお稽古の席で、先生に訊かれました。「『漸』の下に『耳』と書いて『ニイ』と読む禅の言葉、ご存じありません?」ご存じどころか、何のことやらさっぱりわからず、「次のお稽古までに調べてまいります」と這々の体で辞去した次第です。
「わたし達は座禅をしてます」と言い切っている以上、何としても調べねば! 禅語ですから、手元の辞書には文字自体見つかりません。最後の手段だとインターネットを開いたものの、手書きパッドが認識してくれません。なんとか苦労して調べたのがこれです。
「聻」ニイ「それ見よ」「それだ」「そこだ」等、端的を指示する辭也。また「これは如何に」と言外の意趣を聽取せしめん爲に、詰問の意にいふことあり。
今井福山校・中川澁庵著『禪語字彙』
『無門関』 第20則「大力量人」に用例があります。・・・久しぶりに真面目に調べ物をした冬の夜でした。(霊峰)
2014年
1月
13日
月
松無古今色
松無古今色 竹有上下節
( 松に古今の色なく 竹に上下の節あり )
「松は年中青々して色を変えない、竹も年中青々しているが上下の節がある。」
鎌倉・南北朝の臨済宗の禅僧、夢窓疎石(むそうそせき:1275~1351)の言葉です。一言で言えば、「差別中の平等、平等中の差別」「柳は緑、花は紅」…このことを体の芯から実感し納得するために、私たちは日々修行に励むのです。
2014年
1月
12日
日
新年互礼会
福岡禅会平成26年の新年互礼会です。妙頂庵老師を中心に多くの人が集まり。この一年の一層の精進を誓い合います。
茶礼に先立って、禅堂には両忘庵・耕雲庵両老師の軸が披露され、懇親会での宗道居士の謡の披露など、新春にふさわしい雰囲気の会となりました。
2014年
1月
08日
水
猿回し
今年の初詣は、大注連縄で有名な宮地嶽神社へ。ここは福岡県でも、大宰府天満宮に次いで初詣客で賑わう名所です。確か今年も百万人を越えたとのことでした。
境内では昔懐かしい猿回しの姿も見られました。猿と猿回し、どちらもご高齢でしょうか? 日光猿軍団の例もありますが、世代交代は難しいようです。(寶州)
2014年
1月
08日
水
仏は常にいませども
仏は常にいませども
現ならぬぞあはれなる
人の音せぬ暁に
ほのかに夢に見えたまふ
(「梁塵秘抄」より)
ありがたい仏様も、あまりに「うつつ」すぎるのはどうかと・・・どうしても俗なものを感じて仕方ありません。
神秘を語らず迷信を説かないのが私たちの立場ですが、仏様にはもう少し控えめでいてほしいものです。(霊峰)
2014年
1月
06日
月
田原坂
今回お世話になった熊本道場は、植木市と熊本市の中程にあります。内陸部に近く、この時期朝晩は大変冷えるとのこと。寒い中での坐禅は、気の引き締まる良い体験でした。
帰りは知人と会うついでに、田原坂に寄ってみました。薩摩の血が半分流れている自分としては、感慨無量です。(霊峰)
2014年
1月
05日
日
新年互礼会その2
熊本道場は阿蘇山の麓、朝はとても冷えます。白い息を吐きつつ朝の内参を終え、道号授与式・互礼会というメインの前に、参加者全員に抹茶が振舞われました。お点前は肥後古流。清々しい朝です。